電線を沈めた水のケースに、宋京台さんがそっと手を入れる。隣の電球は、点いたままだ。取材を終えたあと、デモ機を机に広げて見せてくれた光景である。
株式会社ネロンガは、漏電が起きても漏電ブレーカーを落とさずに、機械を動かし続けられるようにする装置「eLynX(イーリンクス)」の日本国内正規販売代理店だ。韓国で開発され、累計10万台が出荷されたと聞く装置だが、日本ではまだほとんど知られていない。宋さんは2025年4月、約20年勤めた韓国キムチの輸入会社を離れて、この仕事を始めた。
昔の人脈を頼れば、すぐに広がる——その見込みは甘かった。いまは一人で電気の資格の勉強を重ねながら、足立区の町工場を一軒ずつ訪ねている。
背中を押しているのは、2025年に亡くなった父の思いだ。「父ができなかったことを、この会社を通じて何かできればなと思っております」

「これが本来のおいしさなんだよ」──20年、キムチを売り歩いて
宋さんは日本で生まれ、高校まで日本の教育を受けた。ある理由から韓国の大学へ進み、約6年間を韓国で過ごす。卒業してからは、ずっと韓国系の企業一筋だった。
前職は、韓国キムチを輸入する会社。約20年、全国を営業で回った。行ったことがないのは青森だけだという。
本場のキムチには、お客さんから「酸っぱい」「辛い」という声がよく届いた。そのたびに宋さんは「韓国キムチはこうなんだよ」「これが本来のおいしさなんだよ」と伝え続けた。そうした声がクレームでなくなればいい——その一心で、営業を続けてきた。

土日もクレームの対応に追われ、地方への出張も多かった。家族と過ごせる時間は、決して多くなかった。
白菜がいちばんおいしくなるのは、秋から。ところが台風が来ると、畑が全部だめになってしまう。白菜が足りなくなれば出荷を絞るしかなく、欠品を起こしてお客さんに叱られる。会社を離れたいまも、台風の予報を見ると「昔の部下たちは今、大変なんだろうな」と思い出すという。
「キムチに関しては、私がやることはやって、きちんと成果を残すことができました」
「日本にない」から、賭けてみたいと思った
転機は、約4年前の大阪赴任だった。赴任先でたまたま、韓国留学時代の先輩が新しい商売を始めると聞いた。漏電に関わる装置だった。
ちょうど宋さん自身も、会社でも仕事でも「そろそろやり尽くした」という感覚を抱えていた。「じゃあこのアイテムにかけてみようと思いまして」——2025年2月に会社を辞め、代理権を受けて、4月にスタートを切った。
漏電が起きると、ふつうは漏電ブレーカーが落ちて電気が止まる。この装置は、その手前で漏電した電流の逃げ道をつくる。
「電流っていうのは、抵抗の高い低いがあると、必ず低いところに流れる性質があります。この装置によって抵抗の低い状態をつくり出して、漏電した電流は必ずそちらに、アースを通じて流れる」
だから、漏電した環境に人がいても、感電のリスクを抑えられる。電気を止めずに済むので、機械が止まる時間もなくせるのだという。

この装置に強く惹かれたのには、宋さん自身の事情もあった。
「私、心臓に機械を入れてまして。電気が体に流れちゃいけないっていうのを、前から注意しながら生きてきたものですので。その装置に出会って、ああ、すごい画期的だなと思いまして」
加えて、この技術は日本でまだ紹介されていなかった。それが、何よりのやりがいになった。
韓国では2013年に特許を取得し、2015年から商用化が始まった。電気を止めれば、たしかに安全ではある。けれど工場では機械の損失につながり、医療施設では治療の途中で機械が止まることもある。そうした場面をなくせる装置だと、宋さんは考えている。
漏電ブレーカーをなくすわけではない。その下流に取り付けるのが原則だ。開発した人は、車のエアバッグのように「電気業界のエアバッグ」と呼ばれる存在になればと考えている。10万台でも、まだまだ少なすぎるのだという。
「昔のキムチのソン」──甘かった見込み
20年かけて築いた人脈がある。紹介すれば、すぐに広がるだろう——はじめはそう思っていた。
「なかなか、昔のキムチのソンっていうイメージが強すぎてですね。私自身も電気に関する知識が全くない状態で始めたので、そこは見込みが甘かったんじゃないかというふうに思っております」
壁は、それだけではなかった。日本ではいまも「漏電したら、漏電ブレーカーを落とすのがいちばん安全」という考えが根強い。その常識を覆すのに苦労している。
宋さんは、韓国と日本の気質の違いも感じている。
「韓国って意外と、新しいものはとりあえずやってみよう、ダメだったらやめようっていう気質があるような感じがするんですけど、日本はどうしても慎重で。ほかでまず取り付けてみて、大丈夫だったらうちでやるよっていうお客さんが結構多くてですね」
ある大手ゼネコンでプレゼンをしたときも、返ってきたのは「技術的には大変素晴らしい」という評価と、「取り付けることのリスクがまだわからない」という答えだった。日本での取り付けの実績が、まだ少ないからだ。
無償でもいいから、まず一度取り付けてみてほしい。そう声をかけて回っても、「ちょっと怖いね」と言われてしまう。
そこでいま進めているのが、ある大学の機関による機能検証だ。リスクがあるのかどうかも含めて確かめ、日本の市場が求めるエビデンスをきちんと揃える。それがあれば、自社の商品と一緒にエンドユーザーへ届けたいと言ってくれている企業も、何社かあるという。
「鍬じゃなくて、手で掘っている」──資格の勉強を重ねる理由
いまの状況を、宋さんは土にたとえる。
「これが種だとしたら、植えてはいるけど、土壌がまだまだ開拓できてない。鍬じゃなくて、手で掘ろうとしてるような状態なので」
その鍬にあたるのが、電気の知識だ。装置を取り付ける業者を選び、どこにどう取り付けるかを指導できる立場にならなければいけない。そう考えて、宋さんは資格の勉強を始めた。
第二種電気工事士には合格した。先日は第一種電気工事士の筆記試験にも受かった。第一種は現場での実務経験がなければ仕事には使えないが、勉強の一環として、この仕事に活かせると考えている。
電験三種(第三種電気主任技術者)は4科目のうち1科目に合格し、残る3科目に向けて、また猛勉強の日々だ。

なぜ、そこまで学ぶのか。漏電は、いつ起きるかわからない。起きれば、電気の保安を担う人が夜中でも駆けつけて復旧にあたる。装置があれば、その駆けつけをなくせる。
「電気保安の人にこの装置を売るためにも、同じ環境で勉強して、今の問題点とかがわかるようになりますんで」
仕事のうえで何より大切にしているのは、お客さんとの信頼関係だ。漏電が起きれば大きな事故になり、機械の損傷も大きい。だからこそ、検証のエビデンスと、自分自身の電気の知識が欠かせないと話す。
お客さんに対する信頼関係は、きちんと大切にしたい
知っている先は、もう回り尽くした。いまは足立区を中心に、町工場や、商工会・交流会で知り合った社長たちに装置を紹介している。興味を持ってもらえれば、デモ機を持って説明に行く。動いているのは、いまは宋さん一人。大阪の先輩の会社がプロモーションを支え、装置の良さをわかってくれる企業とは協業していきたいと考えている。
父ができなかったことを
宋さんの思いは、いつも韓国につながっている。
亡くなった父は、韓国に貢献しようとした人だった。けれど、それは本人としては叶わなかった。2025年に父が亡くなってから、宋さんはその無念を自分が叶えたいと考えるようになった。
キムチを売っていたころには、たくさん売って、いつか韓国政府から賞をいただきたいと思っていた。その夢は、もう叶わない。だから今度は、この装置をたくさん売って、また褒めていただける日を目指している。
父は亡くなる数年前から認知症を患っていて、宋さんがこの仕事を始めたことは知らないままだった。
「残り少ない人生をこの装置にかけてですね。この装置で世の中が良くなるって、すごく信じておりますので。それを信念を持ってやっておりますので、亡き父に報告できればなというふうに思っております」
父に何をどう報告したいかと尋ねると、宋さんは一本の韓国映画の話を始めた。『国際市場で逢いましょう』。戦争で父と生き別れた主人公が、家族を守るために懸命に生き抜き、年老いてから「これでよかったのかな」とつぶやく。すると、亡き父が現れて「よくやった」と声をかける場面がある。
「まあ、それと同じぐらいでいいかなと思って」

具体的な数字というより、その一言が聞きたい。いつかどこかで父に会えたら、そう言ってほしいのだという。
一つこれだっていう、オンリーワンっていうのをずっとやり続ける機会を、今いただいておりますので
目標は、2026年のうちに50台。年間100台、200台が当たり前に出るようになれば、次のステップに踏み出せると考えている。
「漏電」が、過去の言葉になる日まで
次のステップの先には、大きな景色がある。
いまの装置は、どれだけ漏電しているかを表示で確かめられる。それを通信で飛ばすなど、システムとして広げていきたい。開発元は、装置をさらに小さくして、あらゆる電化製品に組み込むことも考えている。そのためにも、まずは100台、1000台、1万台と、日本の電気の環境に合う装置だとわかってもらう必要がある。
お風呂にも、家電製品にも、当たり前のようにこの装置が入っている——宋さんが思い描くのは、そんな暮らしだ。
「世の中に『漏電』っていう言葉がなくなる。『漏電』って過去のものだっていうぐらいまでいければなと思います」
日本では、漏電が表に出ることはそれほど多くない。けれど東南アジアなどでは、漏電による感電事故が毎日のように起きていると聞く。電気のインフラが十分でない国にこの装置が当たり前に導入され、漏電による感電死や火災がなくなること——それが、宋さんの願いだ。
足立区から出るつもりは一切ない。足立区の出身だというだけで、からかわれた経験もある。だからこそ、この会社を足立区の企業の一つの柱にしたい。「足立区には、こういう企業があるんだよ」と、胸を張って言えるようになりたいという。
高専を出て電気に詳しい弟と、いつかこの会社で一緒に働けたら——そんな思いもある。
家族と過ごす時間──受け継いだもの、これから残すもの
独立して、変わったことがある。家族と過ごす時間が、前よりも増えた。
娘さんは、ちょうど就職したところだ。宋さんは前職で青森以外の都道府県をすべて回ったが、妻は東北も九州も、北海道も沖縄も行ったことがない。テレビを見ながら、よくそう言われるのだという。
「嫁が行ったことないところに、一緒にちょっと行ければなと」
いつか妻もこの会社に入って、仕事で一緒に出張できたら——そんな夢も、笑いながら話してくれた。

「自分の健康と家族は、一回壊れたら元に戻らないっていうのを、本で読んだことがありますんで。そこはきっちり大切にしたいと思います」
キムチを売っていた20年、宋さんは「これが本来のおいしさなんだよ」と伝え続けた。いまは「ブレーカーを落とす前に、電流はきちんと流しておきましょう」と伝えて回っている。商品はまるで違うが、本人は「それと似たような感じ」だと話す。まだ知られていない良さを、一人ひとりに、自分の言葉で伝える——その姿勢は、少しも変わっていない。
水のケースに手を入れても、電球は灯ったまま。その光景が、いつか日本の当たり前になったとき、宋さんは父に報告するのだろう。そして、あの一言を待つ。
「よくやった」

プロフィール
宋 京台(ソン・ギョンテ)
株式会社ネロンガ 代表取締役。日本で生まれ、高校まで日本の教育を受けたのち、韓国の大学へ進学し約6年間を韓国で過ごす。卒業後は韓国系企業一筋で、韓国キムチの輸入会社で約20年、全国を営業で回る。2025年2月に退職し、同年4月から漏電対策装置の日本での販売を始める。第二種電気工事士。
株式会社ネロンガ
所在地:東京都足立区千住旭町11番7号 足立成和信用金庫創業支援施設「あかつき」501号
設立:2025年4月8日
事業内容:漏電した電気を回収し、安全に回路に戻す「eLynX(イーリンクス)」の日本国内正規販売代理店
URL:https://www.nerongga.co.jp/





