西新井大師の山門の、すぐ目の前。参道を行き交う人の流れのなかに、「あっぷけあ」と書かれた看板がある。重智生(しげ・としお)さんが営む、在宅介護の会社だ。
サラリーマンとして営業を続けていた重さんが、まったく畑違いのこの世界に飛び込んだのは38歳のとき。起業して、今年でちょうど10年目になる。いまでは複数の会社を束ね、事業所をいくつも構えるまでになった。それでも、空前の人手不足という逆風のなか、「明るく楽しく仲良く」という、いちばんやさしくて、いちばん難しい約束と向き合い続けている。
「喜んでもらえる、っていうのが報酬なんです」。静かに、けれど迷いなく、重さんはそう言った。

「この仕事、いいな」──寝たきりの祖父と、介護に生きた祖母から始まった
重さんの原点は、幼い頃までさかのぼる。
母親の実家に養子に入り、物心ついた時から、おじいちゃん、おばあちゃんとの三人暮らしだった。週末になると、おじいちゃんと一緒に西新井大師へ出かけるのが定番だったという。
やがて、そのおじいちゃんが寝たきりになる。介護をするおばあちゃんの姿を、重さんはずっとそばで見ていた。おじいちゃんが他界したあとは、今度は自分がおばあちゃんの面倒を見ることになった。

「介護の人たちと関わっていくなかで、この仕事いいなと思って、始めたのがきっかけですね」
当時、重さんは普通のサラリーマンだった。おばあちゃんが寝たきりになり、どうしても仕事を続けるのが難しくなる。いわゆる介護離職だ。そこからヘルパー2級の資格を取り、38歳で介護の世界へ。「思い」が生まれたのは、15年ほど前のことだった。
「喜んでもらえるのが、報酬なんです」──飛び込んだ先が、天職だった
サラリーマンを辞めるときは、勇気が要らなかったわけではない。それでも重さんは、迷いよりも確信のほうを信じた。「この仕事、自分に合ってるな」。そう感じて、飛び込んだ。
介護の仕事は、ただサービスを届けるのとは少し違う、と重さんは言う。お客様のご自宅の中に入り、その人の生活そのものに寄り添っていく。家ごとにルールがあり、暮らしがある。そこに気を配りながら、介護保険という枠のなかで、できる最大限を尽くす。
「もう本当に、その人の生活に入り込んで支援していく仕事なので。そのなかで、喜んでもらえるっていうのが、すごくありがたいと思って」
若い頃は、広告の仕事やインテリアの仕事に憧れていた時期もあったという。けれど、やってみて分かったことがある。
「好きと得意って、やっぱり違うと思っていて。この仕事は、自分に合ってたんです」
いまは、介護を天職だと思っている。
「どう伝えるかじゃなくて、どう伝わるか」──コミュニケーションは、100%相手に権限がある
会社を続けてきて、いちばん難しいと感じてきたのは、人と人とのあいだのことだった。利用者さんとも、一緒に働く仲間とも、どうやって心を通わせていくか。
そこで重さんがたどり着いた考え方が、これだ。
どう伝えるかじゃなくて、どう伝わるか。コミュニケーションは、100%権限が相手にある

自分がどれだけ丁寧に言ったつもりでも、相手にそう受け取ってもらえなければ、伝わったことにはならない。だから重さんは、コミュニケーションを「仮説の検証」だと捉えている。こう言えば喜んでもらえるかな、こう言えば伝わるかな──そう想像しながら、言葉を選ぶ。
うまくいかないときは、たいてい相手の情報が足りていないだけ。だからよく聞く。「いま、どう考えている?」と、まっすぐ尋ね、相手の思いに耳を傾ける。
幹部と話すときに、重さんが繰り返し口にする言葉がある。
「気を使うんじゃなくて、気を配る、っていうところなんです」
みんな、気は使っている。でも、そこで縮こまってしまうのではなく、部下がいま何を思っているのかを把握し、心を配る。コミュニケーションが足りなければ、それは見えてこない。
「明るく楽しく仲良く」──言葉は簡単、でも実践はいちばん難しい挑戦
重さんの会社のモットーは、「明るく楽しく仲良く」。
言葉にすれば、たった一行だ。けれど重さんは、これをきれいごととして掲げているわけではない。
「言葉で『明るく楽しく仲良く』って、結構簡単なんですけど。実際にやっていくって、すごく大変で。難しいことに挑戦してるな、っていう感覚が、自分のなかにはあるんです」
分かっている、知っている──そういうことを、いかに実際に行動に移せるか。重さんが「挑戦」と呼ぶのは、まさにそこだ。
社員には毎月研修をし、伝え続ける。たとえ同じ話を何度も繰り返すことになっても、諦めない。
「こちらが諦めた瞬間に、伝えられる側のスタッフが基準になっちゃうんで。だから、ずっと伝え続ける感じですね」
それでも、正直に。「辞める人もいるし、独立していく人もいます」
順風満帆だったわけではない。
立ち上げてすぐ、新型コロナがやってきた。「とんでもないな、というところは、正直ありました」。そう振り返る。
介護は、介護保険という枠のなかで営む仕事だ。ルールは細かく、できることには限りがある。それでも重さんは、それを不自由とは言い切らない。

「ルールのなかでできる最大限をやっていくのは、全然ルールがないよりも、僕は意外と仕事しやすいなと思ってますね」
離職率は高くないと言いながらも、辞めていく人がいることを、重さんは隠さない。職場環境が理由のこともあれば、自分のやりたいことと違ったから、という人もいる。なかには、辞めて独立していく人も何人もいる。
その独立を、重さんは応援している。「困りごとがあったら、いつでも相談を受けるので」と、いつも声をかけているという。
「どこで働くかより、誰と働くか」──社員が社長になれる会社をつくる
重さんが会社をいくつも増やしてきたのには、理由がある。
ひとつの会社ですべてを回すこともできる。でも、それでは社員が上に上がっていく場所が限られてしまう。会社が増えれば、社長も、事業所の責任者も必要になる。そのポジションを、育ってきた仲間に託していく。
「社長になれる会社って、あんまりないですよね。中小企業で働くなかでも、やっぱり夢があったほうがいいなと思って」
実際に、入社から3年ほどで社長になった仲間もいる。誰でもいいわけではない。会社の理念に共感し、真剣に向き合ってきた人に、次を任せていく。
そして重さんは、いま気づいていることがある。
「一番大事なのは、どこで働くかより、誰と働くか、ですね」
だからこそ、人が集まってくる。この人と働きたい、と思ってもらえるかどうか。重さんが日々向き合っているのは、結局そこなのかもしれない。
「上を向いて歩こう」──残していきたい思い
重さんの会社には、もうひとつスローガンがある。「上を向いて歩こう」。
介護や福祉の仕事に就く人のなかには、さまざまな事情を抱えてこの世界にたどり着いた人もいる。そういう人たちにこそ、自信と誇りを持ってほしい。収入も、暮らしも安定させて、下を向いていた人が、少しずつ上を向いて歩けるように。その願いが、この言葉には込められている。
「従業員ファースト、って言ってるんです。働いてくれるスタッフがいて、初めてサービスを提供できるので」
いま重さんが構想しているのは、介護保険にこだわらない、高齢者のための新しい居場所だ。気軽に立ち寄れて、体を動かして、ひと息つける。「ディズニーランドに行く日みたいに、ワクワクして来てもらえたら」。行くと決めた日から、遅刻もしないし、忘れ物もしない。そんな場所をつくりたいのだと、重さんは笑う。
会社をどう次の世代に渡していくか。それも、いま一番考えていることだという。財産でもお金でもなく、渡したいのは「思い」だ。
西新井大師の門前で始まった一人の挑戦は、いま、たくさんの仲間の未来へとつながっている。
プロフィール
重 智生(しげ・としお)
あっぷけあトップパートナー 代表。足立区生まれ、足立区育ち。祖父母との暮らしと、祖父の介護・祖母の介護離職を経験し、38歳で営業職から介護の世界へ転身。ヘルパー2級を取得後、地元・西新井大師前に介護事業を立ち上げる。「明るく楽しく仲良く」をモットーに、居宅介護支援・訪問介護・訪問看護・福祉用具貸与販売・住宅改修・介護タクシー・施設紹介を手がける「あっぷけあ」グループを率いる。
あっぷけあトップパートナー
代表 重智生
〒123-0841 東京都足立区西新井1-5-10 鈴木ビル1階
TEL:03-5809-5118(代表)
事業内容:居宅介護支援・訪問介護・訪問看護・福祉用具貸与販売・住宅改修・介護タクシー・施設紹介
ホームページ:あっぷけあ



